息するように文字を吐く

自営業のささやかな思考回路

金曜だ、飲みたい

現在18時43分。仕事はまだある。なんなら入稿しろというメールが来ている。が、スケジュールでは今日やることではない。今日入れる予定だった原稿も、今日じゃなくてもいいと言われた。これは、もう飲みに行くフラグだろう。

明日も仕事なので、今日は許して欲しい。この記事を目にした人は、心の中で「いいよ」とつぶやいてもらえるとうれしい。

薬があるから生きている

薬代が高くて泣きそうだ。

時代小説などで「おっかさんの病気のために高い薬を…」というのを見るけど、まさか自分が現代に地でそれをやっているとは。いや、おっかさんのためじゃなくて、自分が生きて動くためだけども。障害者雇用も昔考えたが、とても医療費払えない金額しか求人票に書かれていなくて、即辞めた。障害者雇用って、病気持っている人のためじゃないだろ、あれは相当足元をみているね。

たまに薬は飲まない方がいい主義者に出会うが、軽々しくそんな発言をする人は、目の前にいる人が薬に生死をにぎられているとは全然想像できないらしい。これまで相当、暴言を吐かれてきた。まるでこちらの努力不足のように。ああゆう人が、癌の人にわけのわからない治療とか民間信仰を押しつけるのだろうなと思ったよ。

まあ、今は薬代を辛うじて払えているからいいが、もし働けなくなったらどうなるのだろう。今の医療は簡単に死ねないので、生活保護で寝たきりだろうか。恐ろしい。願わくば、そんな心配がいらないくらい貯蓄できるようになりたいし、医療が進化して、より健康な肉体に戻りたい。

 

 

 

といいながら、Amazonでポチッと何かを買った。だから、お金が貯まらないのだよ。自分の馬鹿野郎。

 

 

仕事を選ぶことの難しさ

正直、取材モノで1万円を切る原稿をもう書きたくない。1万円だろうが、5万円だろうが、取材して書くパワーはさして変わらないからだ。周りからも仕事を選べと言われる。でも今月は忙しくても、来月は忙しい補償がない。つい未来が怖くて、言われた仕事を次々受けてしまう。結果として、1つ1つのクオリティが落ち、困窮する。負のスパイラルだ。抜け出し方がわからない。

さらに今日先輩から5万を超える仕事を入れていかないとと言われた。どこにあるのだ、そんな仕事。今の状態では受けられる気がしないが、受けたいのでやはり仕事のループをどこかで裁ち切り、流れを変えて行くしかないのだろうな。

編集案件に対しての思いは、また別なので、そのうち書こう。

あっけなくフリーライターになって枯渇している話

どうやってフリーライターになったのか。簡単である。もともと発注側にいて、会社を辞めたら知り合いの編プロさんから仕事が回ってきた。それだけである。ただ、会社員時代からライターに興味があることは伝えていた。種まきが功を奏したようだ。仕事を拡大するために、最初はライター教室のコミュニティに参加し、青田買いしてるところに引っかかるようにはした。ウェブだけでなく、紙の知識もうっすら身に付けた。

バックグラウンドとして、ブログが生まれたころから大量にブログ記事を書き(雑念を垂れ流すだけだが)、Twitter初期は、Twitterとブログ、どちらにも大量に文字を書き連ねていた。つまり書くことが、息を吐くようにできていたから、ライターになれたのではないかと自分では考えている。子どもの頃から本の虫なのでインプットも溜まっていたし。

ただ、ライターになってから仕事でのインプットが多すぎるからか、活字のインプットが激減した。先のブログにも書いたが、創作意欲も失われた。10年以上続けて、もう自分の中の「書くための泉」が枯渇してしまったのだろう。向いてはいるのだろうけど、天職とは異なるのかも知れない。

文化的な雪かきで失ったもの

村上春樹はライターの仕事を文化的な雪かきと表現した。まさか自分がそんな仕事をすることになるとはちっとも思っていなかったのだが、確かにこんな雪かきをしていると、やがてヒツジ男が目の前に現れそうな気分にもなる。しかし自分は天才村上春樹からほど遠い、やる気のないライターだ。文化的な雪かきをすればするほど、最近クリエイティビティ、創造性というものを失って言っているような気がする。一山雪を崩すたび、コンクリートにしみて溶けていく残雪みたいに、蒸発してしまっているのだ。その結果、ZINEを作ろうにも何も浮かばない。本当は、好きなことを好きなだけ、好きな風にかけるのが理想のはずなのに、何も浮かばない。乾燥した冬の空気のなかに、すべて吸い込まれてしまったかのようだ。

 

 

 

本当に困った。文学フリマ、申し込んでしまったのに……。

おいしくないのになぜ食べる

正直、○○ラーメンを美味しいとは思わない。しかし、あるオフィスからは近いので小腹が空くとうっかり毎回食べてしまう。しかも高い。おいしくないのに、高い。食べた後に湧き上がる後悔の念と増えた体重は、まあまあ正比例しているといってもおかしくはない。なのに、なぜ、おいしくないのに毎回食べるのか。理由は簡単だ。近くに手頃ですぐ食べられる店がないから。必要なのは手軽に食事ができる環境があるオフィスなのだ。間違いない。